opinion: Japan’s China Studies

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41551

               日本の中国研究は

「結論ありき」になっていないか?かつての知的創造機能はどこへ

 

2014.08.25(月) 柯 隆

 

かつて国民党政府のリーダーの1人だった戴季陶氏(1891~1949年、1905年に日本留学)は自らの著作『日本論』の中で、「日本の書店に行けば中国に関する研究書がたくさんあるのに対して、わが中国では日本に関する研究書がまばらだ」と記していた(筆者訳)。

 20世紀初期、戴氏が日本で目にした中国研究の豊富さは今も変わっていない。否、当時より今の方が量的にもっと増えているはずである。

 だが今の日本の中国研究は深刻な問題を抱えていると思われる。それは、書店の中国関係コーナーを見れば一目瞭然だが、中国脅威論(日本にとっての悲観論)と中国崩壊論(楽観論)に二極化していることである。

 いかなる研究も、まず求められるのは客観性である。そのうえ、建設的でなければならない。しかし、今の日本の中国研究の多くはいずれも欠如しているように思われる。

 確かに中国という国は巨大な象のような存在である。だからといって中国研究者は群盲となって象をなでるように中国を「ウォッチ」すべきではない。 木を見るようなミクロの研究も必要だが、同時に森も見なければならない。木しか見なければ、研究は単なる研究者の趣味になってしまう恐れがある。

飛躍的に質が高まった米国の中国研究

 20年前、中国研究者は中国の正確な経済統計を入手することはできなかった。もちろんインターネットなどなかった時代だったため、中国の統計を入 手する唯一の方法は、毎日「人民日報」(海外版)をチェックすることしかなかった。だが人民日報に載っている統計は不正確である。そこで、数字を補正する ためにできるだけ現場へ足を運び、国有企業などを見学してインタビューを実施することが必要だった。

当時、アメリカ人はビザの申請が難しく頻繁に中国に行くことはできなかった。日本の中国研究者は地の利を享受でき、頻繁に中国出張ができた。

 当時、アメリカの国防総省や中央情報局(CIA)などの関係者は中国関連の情報を入手するために、よく日本に来ていた。しかし、わずか20年で状 況は一変した。アメリカの中国研究者は日本を訪れずに直接中国へ飛ぶようになった。これも「ジャパンパッシング」の1つであろうか。

 この20年間で、中国研究をめぐる環境はどのような変化が起きたのだろうか。

 まず、中国は、経済統計などの研究インフラを整備した。マクロ経済統計の信憑性には問題が残るが、国際機関などのデータベースで補正すれば、かなり実態に近づくことができるようになった。

 そして、中国国内の大学や研究機関は、西側の経済学と政治学の理論を受け入れるようになった。アメリカ人の中国研究者も中国人と対話しやすくなっ た。しかも、中国人研究者の英語能力は格段に向上し、アメリカ人研究者の中国語も予想以上に上達した。この進歩は米中両国の教育のたまものと言えるだろ う。それに対して、日本人研究者の多くは日本語しか話せない。中には中国語が話せる者もいるが、政治学や経済学に精通していない。

 さらに、アメリカに留学する中国人学生が急増している。中国政府の発表によれば、アメリカの大学に正式に入学した中国人留学生は2007年に7万 人だったが、2012年に20万人に達した。アメリカの新聞報道によれば、習近平国家主席の娘も現在ハーバード大学に在籍していると言われている。アメリ カの中国研究者にとって、中国人留学生は中国を研究する上での重要な情報源である。

 一般論として言えば、中国の一流大学の一流の学生は、日本ではなくアメリカやイギリスに留学している。なぜ中国の政府高官は自分の子供を日本に留 学させないのか。かつて、魯迅や郭沫若などのエリートは西洋へ行かず日本に留学していた。このことを日本政府関係者は大きな問題として考えなければならな い。

「結論ありき」の日本の中国研究

 通常、どんな学問でも最終的に明確な結論を示さなければ、研究として完結しない。しかし日本の中国研究論文を読むと、明確な結論のないものが散見される。

 一方、マスコミは結論ありきの発言や寄稿を研究者に依頼する傾向がある。「悲観的に書いてほしい」とか「中国を批判するトーンでコメントしてほし い」といった具合である。マスコミは一部の読者の嗜好に迎合して世論をミスリーディングしようとする。そして研究者はそれに応える。これは中国研究に限る 話ではないかもしれない。

 

かつて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版したハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲル氏は、『現代中国の父 鄧小平』(日本経済新聞出版社)を出版した。近年、これほどの労作を読んだことはない。残念ながら日本人研究者による中国研究で、これと同じレベルの成果は今のところ出ていない。日本の中国研究はややもすると粗製乱造の状況に陥っていると言えるかもしれない。

 日本の中国研究のレベルを低下させたもう1つの要因は、研究成果を掲載する外交専門誌、政治誌、経済誌などが経済的な理由により相次いで廃刊して しまったことである。例えばアメリカでは、“Foreign affairs”など毎号必ず読むべき専門誌がいくつもある。しかし、同じレベルの日本語の専門誌はほとんど姿を消した。

脆弱なシンクタンク機能

 ワシントンでは、シンクタンクや大学などが毎日多数のセミナーを開催している。一方日本では、国際会議は著しく減少した。それに代わって商業ベースのセミナーが開催され、テレビで顔をよく見るスピーカーが中途半端な知識でことば巧みに講演するセミナーが増えている。

 アメリカの本当の実力は軍事力や経済力ではなく、その知的創造力にある。日本は失われた20年を喫したが、日本が本当に失ったのは経済力ではなく、知的創造力ではないだろうか。

 ワシントンと東京を比較すると、東京では知的創造を担当するシンクタンク機能が欠如しているのは一目瞭然である。かつてシンクタンク機能を担って いた金融系の総合研究所は、相次いでコンサルティング会社に転身してしまった。コンサルティング会社はシンクタンクとは違って利益を追求しなければならな い。一方、シンクタンクの役割は知的創造と国際社会に対する政策提言である。日本でシンクタンク機能が欠如しているというのは、その志を持っている経営者 がいなくなったからである。

 日中関係が国交回復してから最悪な状況に陥っているとよく指摘されるが、なぜここまで悪化しているのだろうか。その原因の1つは両国関係を健全化する知的創造機能の欠如にある。

 すなわち、日中関係を良好に保つための知恵を出すシンクタンク機能がないから、政治が思いつきで間違った方向の政策を決断してしまうのだ。換言すれば、目下の政治は頭脳のない政治と言える。

 

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